
腹診と稲葉文礼〜 腹証奇覧の成立と、一人の医師の生き様 〜
腹診と稲葉文礼
〜 腹証奇覧の成立と、一人の医師の生き様 〜
診察室に腹証のパネルを飾っています。味のある腹証の図に興味を示される患者さんも多くおられます。
脈診を重視する中医学に対して、腹診は日本漢方で発達した診察方法とされます。
今回のコラムでは、腹診を確立した江戸時代の医者、稲葉文礼(いなば ぶんれい)について紹介をしてみます。
「ワル」だった稲葉文礼の一念発起
稲葉文礼はその著書、『腹証奇覧』の自序で自己紹介をしています。その中で、
「天涯孤独、放蕩無頼。
鄙(ひ)夫野人の為す所、大人君子の悪(にく)む所、一として為さざる所なし。」
とうそぶいています。文礼はイケナイことは何でもやった、相当のワルだったようです。
そんなワルの文礼が、友人の一言で一念発起して医者を目指すこととなります。しかし読み書きができなかったため、とにかく四方の名医を訪ねて教えを乞うたようです。
鶴泰栄との出会いと、腹診の伝授
そんな中で鶴泰栄(つる たいえい)という医師に出会い、腹診を伝授されます。
鶴泰栄は稲葉文礼を見て、「頑固で愚かで粗野である事を不安に思う。また年も若くない。読み書きができないので、教科書通りに教えては物にならないだろう。」と評します。
しかし、どこか見どころはあったのでしょう。難しい理論は不要で、実践的な腹診を伝授してくれました。
京都での挫折と『腹証奇覧』の誕生
腹診を伝授された文礼は、諸国を旅しながら愚直に腹診の研究発展に努めます。
20年以上が経過し自分の腹診に自信を得た文礼は、満を持して京都に滞在します。しかし京の都ではどこの馬の骨とも知れない文礼は見下され、攻撃され、相手にされなかったようです。
そしてストレスのためにお酒を飲みすぎて半身不随になってしまいます。自分の医術で回復するも、その後も発作を繰り返したようです。
読み書きのできない文礼が弟子に書かせたのが『腹証奇覧』です。
文盲の文礼らしく、文章が少なく、イラスト重視の感性に訴える本です。
文礼は学が無い代わりに、動物的な勘が鋭く、また粘り強い人物であったと思われます。小難しい理屈に惑わされず、愚直に患者の観察治療を続け、直観的に発見した腹証を集めた成果が腹証奇覧です。
同志・和久田叔虎への遺言
腹証奇覧には失敗談、苦労話が多いのも特徴です。
「○○の腹証がなかなか解らなかったが、○○という苦労、失敗をしてようやく会得した。」という文章が散見されます。新しい腹証を発見した文礼の感動の声を直接聴くような臨場感があります。
半身不随となった病床の文礼を幾度となく訪ねる、和久田叔虎(わくだ しゅくこ)という医者がいました。稲葉文礼が「20年間で初めて出会った腹診の同志」と評した人物です。
文礼は腹証奇覧の追補を和久田叔虎に遺言して没しました。和久田叔虎は知識のある人物であり、稲葉文礼が動物的嗅覚で発見した腹証に理論的な肉付けをして『腹証奇覧翼』を完成しました。
現在の腹診と、文礼の説く「心構え」
稲葉文礼、和久田叔虎が発見、解説した腹証の中から、現代の頻用処方の腹証を抜粋して簡略化したのが現在の腹診です。
カジュアルで、簡便で扱いやすい反面、文礼、叔虎ほどの真剣さにかける面は否めないと思います。
稲葉文礼は、腹証奇覧の冒頭に腹診の心構えを書いています。
「心を落ち着けて座り、呼吸を正し志気を臍下に収め、
あたかも、サムライが刀を執って敵に向かうが如く、
大病を怖れず、死生に惑わず、富貴に屈せず、貴賤も侮らず、
その病敵を治して疾苦を救わんと、心を専一にして診察すべし。」
私は腹証奇覧のパネルを眺める度に、
文礼を見習い「もっと真剣に腹診をしなければ」と襟を正します。

