仏教の掃除修行とミョウガの香りに学ぶ心のデトックス法
大掃除とミョウガ(茗荷)の関係
年の瀬も近づき、いよいよ大掃除の時期となりました。今年の汚れは今年の内に片付けておきたいですね。
この時期になると各地の寺院のすす払いの様子が報道されます。
仏教では掃除を大切にします。
今回のコラムではお釈迦様の弟子で、掃除を通して悟りを開いた周梨槃特(しゅりはんどく)というお坊さんについて紹介をしようと思います。
周梨槃特(しゅりはんどく)
周梨槃特は自分の名前すら忘れてしまうほど記憶力の弱い人でした。
ある時、周梨槃特は修行について行けない自分の愚かさに泣いていました。
そこにお釈迦様が通りかかり、「世の中には自分が賢いと勘違いしている者も多いが、お前は自分が愚かだと自覚している。これは智慧を得るには大切なことだ。」と仰りました。また一本のホウキを手渡して「塵を払い、垢を落とさん。」と唱えながら掃除をするのがお前の修行だと仰られました。
周梨槃特はお釈迦様の言いつけに従い、来る日も来る日も一心不乱に掃除を続けました。
毎日の掃除修行を通して周梨槃特は塵や垢などの汚れは家屋だけではなく、人間の心にもこべりついている事に気がつきます。そしてホウキ一本による掃除三昧で心の汚れである煩悩を滅却し悟りに至ったとされます。
以上が周梨槃特の逸話の概略です。私は仏教の専門家ではなく、ウィキペディア調べで原典にあたっていませんので、詳しく知りたい方は各自調べて見て下さい。
この話は以下のような示唆に富むと思います。
- 掃除には浄化の力がある。部屋や机が汚いと、性格的にも人間的にも何となくだらしなく、ゴチャゴチャした人が多いのに対して、部屋や机がきれいな人は礼儀正しくさっぱりした人が多いのは経験上正しいと思います。体と心も掃除を怠れば錆び付き曇っていきます。
- 中途半端な知識や常識にとらわれず、自分の能力をわきまえてそれぞれの役割をコツコツやることが大事。これは言うのは簡単ですが、行うのは難しいと思います。プライドが邪魔します。例を挙げると、あなたは意に反した人事を左遷と捉えるかそれとも修行と捉えられるか?
- 個人の特性、能力を見極めて導く教師の尊さ。例えば同じ病気でも反応は人それぞれ違う。治療法も病気による画一的なものでなく、個別的な対応precision medicineが理想。
周梨槃特が亡くなった後、お墓の上に白い花が咲きました。後人はこれを周梨槃特の花として茗荷(みょうが)と名付けました。周梨槃特が自分の名前を覚えられず、名札を荷なっていたので茗荷と名付けられたそうです。
「名は何ですか」に草冠をつけて茗荷というところでしょうか。また茗は茶、荷は蓮を意味するので高貴な植物という意味もあると思います。ミョウガは妙(たえなる)香(かおり)でもあります。
ミョウガを食べると忘れっぽくなるというのは自分の名前も忘れてしまう周梨槃特の逸話からきているようです。
しかし周梨槃特の逸話を知れば、ミョウガの効能はただの物忘れではなく、心の汚れや闇を払うこと、精神のデトックスと言えるのかもしれません。ミョウガの強い爽やかな芳香にはその力があると信じたいと思います。
医者の仕事も掃除に通じるものがあります。膿、痰、尿、便の排出を手伝い、苦しみや悩みを傾聴する。なかなかしんどい仕事ではありますが、ミョウガの香のように爽やかにこなしていきたいと思います。
最後に
最後に大掃除に関連して次の本を紹介します。大掃除では誰もがいかに多くのゴミを出すかには精を出しますが、どうやってごみを分別し、少なく捨てるかまでは意識が回らないことも多いと思います。
ゴミ清掃員、お笑いタレントとして活躍する滝沢秀一氏の「ゴミ清掃員の日常」はゴミと資源について考える良著と思います。
ゴミ清掃員の日常~ゴミ分別セレクション~ 滝沢 秀一 講談社 2023年
えらそうな事を書きましたが、実は私は掃除があまり得意ではありません。このコラムも崩れそうな本の山の中であれこれ知識を混ぜ込んで頭の中で発酵させて書きました。
きれいなのも好きですが、あれこれゴチャゴチャしたカオスから生まれるエネルギーを大切にしたいとも思います。
書いた人
岐阜市 加納渡辺病院
外科専門医・漢方専門医 渡邊学