イソップ童話:『北風と太陽』の教訓を活かした漢方治療の戦略
北風と太陽
イソップ童話に北風と太陽のお話があります。
北風と太陽が旅人のコートを脱がせる勝負をします。
旅人は冷たい北風には抵抗をしてコートを離しませんが、温かい太陽の下では自然にコートを脱ぎ、太陽が勝利します。
強制すると反発をまねくが、自主性を尊重して促すとうまくいくという教訓とされます。
北風と太陽には帽子を脱がせる勝負をする別バージョンもあります。
旅人は照り付ける太陽の下では日差しを防ぐため帽子を深くかぶりましたが、北風がヒュッと吹いた瞬間に帽子が飛ばされて北風が勝利するという話です。
やさしい太陽がいつも勝つわけではなく、時には冷たい北風が勝つこともあるのです。
一つの方法に固執するのではなく、状況に応じて臨機応変に対応することが必要という教訓とされます。
北風と太陽、アメとムチの使い分けはなかなか奥が深いと言うことのようです。
漢方治療では北風は瀉法、太陽は補法に例えることができ、補瀉の使い分けは重要なテーマのひとつです。
明治から昭和を生きた漢方医、湯本求心の言葉に、
「古方のいっとき殺し、後世のなぶり殺し」という表現があります。
古方派は峻剤を使った攻撃的(北風的)な治療を得意とし、後世方派は温補剤を中心とした穏当(太陽的)な治療を得意としました。
古方派の医者は激しい薬、侵襲的な治療を用いて患者を治療することができるが、副作用で患者を殺すリスクがある。
後世方派の医者はおだやかな薬を用いて優しく治すが、侵襲的な治療に踏み込めずなぶり殺しにすることがあるというような意味です。
そして上述の言葉はこう続きます、「だから古方医の罪は軽いのだ」と。
湯本求心は古方派の医者で侵襲的な治療が得意でした。
この言葉は、侵襲的治療でしか治らない病人に対しては、補法で逃げるのではなく、いっとき殺しの危険を冒しても果敢に瀉法で病気に挑むという決意表明でしょう。
湯本求心は古方を選択しましたが、医者の性格や実力、患者の病状や希望によって補瀉の選択は変化します。
「古方のいっとき殺し、後世のなぶり殺し。だから古方医の罪は軽いのだ。」
この言葉を見る度に、私の心の中で北風と太陽が勝負をはじめます。
太陽のふりをして責任逃れの生ぬるい補法でなぶり殺しにしていないか。
いっとき殺しのリスクは北風のように嫌われるが、責任をもって瀉法で病に立ち向かうべきではないか。
と自問します。
いつの時代も優しい太陽は厳しい北風より人気です。しかし北風が勝つこともあります。
現在の私の勝率は太陽7,北風3くらいだと思います。
書いた人:
岐阜市 加納渡辺病院
外科専門医・漢方専門医 渡邊学